ご挨拶



 私はよく、二つの質問を受けます。
一つは「中澤さんはなぜ、ものみの塔にそんなに深く関わるのですか」、もう一つは、「どのようにしてエホバの証人の信仰をやめさせるのですか」。

 最初の質問にはいつも、「私は、エホバの証人の方々が好きなんです」と答えています。私はこの15年の間に、たくさんの(たぶんその数は優に1000人を超えるでしょう)エホバの証人や研究生の方々とお話をしてきました。その方々は、例外なく、本当に例外なく、すばらしい方々でした。皆心から、聖書の真理を知りたい、神を信じていきたい、楽園で幸せになりたい、真摯にそう思われているのです。

 第二の質問にお答えするのはそれほど簡単ではありません。そもそも私は、エホバの証人の方に信仰をやめさせようとしてお話をしているわけではありません。私がしていることは、ものみの塔についてのいろいろな情報を証人の方に提供し、その情報をよく考えた上でエホバの証人として生き続けるかどうかをご自分で判断してください、そう申し上げるだけなのです。

 もう少し具体的にお話をしましょうか。
 私はまず、お一人お一人のこれまでの信仰の歩みをじっくりお聞きします(大抵、2-3時間は黙って)。ほとんどの場合、その方のお話にはたくさんの共鳴できるところがありますので、私も喜んで賛意の気持ちを表わします。
 その後、ものみの塔組織が教えていることが、聖書の述べていることと違うことをお話します(例えば、『新世界訳聖書』の啓示7章を読んでいただき、14万4000人は地上におり、大群衆が天にいることを読み取っていただきます)。
 最初エホバの証人は、聖書と組織の教えの間に食い違いがあるなどとは夢にも思っていませんので、組織の解釈の間違いを認めることはしないでしょう。しかし、ゆっくり聖書を何回も何回も読み直していただいているうちに、聖書自体のフレームの中に自分を置くようになり、食い違いに気づき始めます。すると、「組織は人間だから間違いはある」、「神はそのうち間違いを正してくださる」、「私はこの組織を通して神を知ることができたのでこの組織以外に行くところはない」などといろいろ弁明を始めます。そんなときは、はたして本当にそうでしょうか、と真剣に聞きなおします。中には、「こういう批判的な情報を話そうとする動機は何ですか」と激しくくってかかられることもありますが、そういう言葉には軽く受け流すようにしています。
 そうこうしているうちに、証人たちは、組織が教えることを鸚鵡返しに言うのを止めるようになり、自分の頭で考え、自分の言葉で話すようになってきます。もしそうなりますと、いわゆるマインド・コントロールが解けるのは時間の問題になります。つまり、証人が一端自分の頭で考えるようになりますと、それからはこちらが何かをしなくても、証人自身の頭が自己回転を始め、それまで自分が持っていた疑問などもよみがえってくるようになり、組織に批判的な情報であっても真剣に考えなければならない、と思うようになります。そうすると、組織が教えていたフレームを離れ、もう一度自分で聖書そのものを読み直そうとする姿勢になります。
 これが、マインド・コントロールの解ける一瞬なのです。証人の方がもしそこを通過しますと、もはや組織に戻ることは絶対にありません(時々フラッシュバックという現象は起きますが)。

 こういうカウンセリングの現場には、マニュアルはありません。こちらも自分の頭で考える以外にないのです。ただ、それはそれほど難しいことではありません。証人の方と真心を込めて向き合い、その方の気持ちを大切にして接することが一番肝心です。

 私はこのような働きを15年以上続けてきましたが、それは私にとっては義務感に基づく仕事なのではなく、聖書の真理を互いに分かち合う、実に楽しい、何事にも変え難い喜びのときなのです。
 

受講生から見た中澤啓介牧師

  

「中澤啓介牧師」・・今まで出会った牧師の中で、これほど強烈な印象を受けた牧師はいなかった。とにかく勉強が好き。頭が良く、多くの引き出しを持ち、話題が豊富。「人が苦手」と言いつつ、実は人間(特にエホバの証人)が大好き。人を励ますのに、聖書の言葉を安易に絆創膏的に使ったりはしないし、根拠のない気休めも決して言わない。それどころかリアリストなので、結構厳しいことをはっきり言う。極端な照れ屋でもあり、それゆえ時に悪ぶったりする。しかし、先生が持っている、浪花節的と言って良いほどの愛と暖かさは、隠すことができず、自然に滲み出てしまう。クリスチャン、ノンクリスチャンを問わず、多くの人が引き付けられるのはそこなのだろうと思う。

先生は、このたび7年間牧会されてきたシンガポールでの使命を終えて、日本に帰って来られた。この間、文字通り、心血を注ぎ、自分のことは二の次、ただシンガポールの教会の人たちの益のために労してこられた。この7年の間、時として週に2度、合計にしたら250回以上はシンガポールと日本の間を往復されて来た。そんな生活ができたその原動力は、やはり牧師としてのマインド、キリストの愛であったと思う。多くの人がそうであるように、私も、中澤先生を心から尊敬している。

確かに、先生には良いところがたくさんある。頭がよく、聖書のことをよく知っているし、説教もすばらしい。人並み外れた集中力があり、真理や正義のためには身を賭して戦うエネルギーも持っている(だからこそ、カルトの救出カウンセラーができる)・・・でも、突き詰めて考えていくと、尊敬する理由は、そんな個々の事柄ではないということに気づかされる。私が尊敬しているのは、牧師であると同時に、一人の信仰者として、真摯に歩んでおられる先生の生き方そのものなのだと。

「私は、一度説教をした会衆のためには死ねます。」と話された先生は、その思いを持ち続け、その覚悟で、シンガポールの教会を愛してくださった。語った言葉の通りの生き方を見せてくださったと、私は思っている。

また、私は、シンガポールからの帰国後、JWTCのクラスに5年間通い続けている。その中で繰り返し学んだことは「自分の頭で考え判断すること。そのためには情報を集め、いろいろな話に謙虚に耳を傾けていくこと。」である。そして、ここでも、私は、先生が語った言葉の通りに生きておられるとの思いを強くするのである。

人生のさまざまな場面で課題に直面するとき、ある時は葛藤しながら、確かに、先生は自分の責任で、最善と思われる判断をして進んでおられる。もちろん、その判断の中に、私利私欲がないことは、言うまでもない。できる限りの情報を集め、いろいろな意見に耳を傾け(自分と違う意見には特別注意を払って)、目いっぱい迷ったり揺れ動いたりしながらも、尚、前に進んでおられる。

「すべてのことを働かせて益としてくださる」神さまに、最終的に全幅の信頼を置きつつ、神さまから委ねられた自分の使命を果たすため、全身全霊、自分のすべての能力を使って、逃げることなく課題に向き合っていく、その姿を見せてもらっていると思っている。

中澤先生が、牧師として、また一歩先を行く信仰の先輩として、その生き方を見せてくださっていることを、心から感謝している。そこから勇気とヒントをもらって、私も自分の課題に取り組み、先生の背中を追い掛けて行こうと思っている。何より、この人生の中で師と呼ぶことのできる人に出会えたことを、とても幸せに思っている。

JWでも、JWの家族でもないけれど、サポーターとして、これからもJWTCと中澤先生にエールを送り続けたいと思っている。 

1942年生まれ  JWTC(エホバの証人をキリストへ)主宰者

大野キリスト教会牧師    モットーはローマ8:28 

最近の口癖 「仕事や勉強は苦しくて嫌なことではないんですよ。楽しいことなんです。」

経歴

 

著書

エホバの証人の関係著書