JWTC15年のあゆみ

1994年   4月 JWTC開講  クラレンス・バス博士講演
1995年   2月 デイビット・リード先生来日
  11月 ものみの塔は「1914年を見た世代」の解釈を変更する
  12月 フランス国民会議はカルト報告書において、ものみの塔をカルトとして扱う
1996年  8月 長野県松川町王国会館建設反対運動始まる
1997年   3月 「JWの夫たち」発刊  
輸血拒否裁判一審判決 被告側(医療側)勝訴
    3月 春の一泊研修会(越後湯沢・板屋旅館にて)
 「輸血問題を考える会」デモ
    7月 夏の研修会(鬼怒川・ニュー富士にて)
  10月 米国ツアー(Witneses Now For Jesus Convention)
ロス→ニューヨーク→アーレンタウン 12名参加
1998年 2月 輸血拒否裁判二審判決 原告側(エホバ側)勝訴
  7月 夏の研修会(軽井沢・恵みシャレーにて)
  10月 長野県松川町王国会館建設反対 法廷論争
  11月 奉仕時間の削減(正規開拓者70時/月 補助開拓者50時/月)
J・セトナー女史(エホバの証人三世)来日
(東京・北海道・大阪・岡山・九州などで講演)
1999年   1月 草刈牧師、保護説得の件で告訴される
    3月  「ものみの塔救出カウンセラー支援ネット」が発足する
    9月 ミルトン・ヘンシェル(第5代ものみの塔会長)死亡
2000年   2月 輸血拒否裁判最高裁判決。上告棄却・エホバ側勝訴確定
JWTCニュースレター発刊
  7・8月 ものみの塔ホロコースト展開催
    7月 夏の研修会(浜松・滝沢チャペルにて)
  10月 ものみの塔の統治体、組織変革をする
(会衆、個人、王国会館管理、日本支部法人化)
2001年  3月 草刈裁判一審(神戸地裁)判決 被告側(草刈側)敗訴
  5-8月 ものみの塔ホロコースト展開催
   7月 夏の研修会(鬼怒川にて)
  10月 米国ツアー(Witneses Now For Jesus Convention)
コロンバス→アーレンタウン→ニューヨーク(12名参加)
2002年  8月 夏の研修会(名古屋・瀬戸勤労者センターにて)
草刈裁判二審(大阪高裁)判決 控訴棄却一審確定
  10月 米国ツアー(Witneses Now For Jesus Convention)
ランカスター→ワシントン→アーレンタウン→ニューヨーク(11名参加)
  11月 「ものみの塔救出カウンセラー支援ネット」解散
2003年   8月 夏の研修会(福島・猪苗代湖・翁島荘にて)
  10月 「ものみの塔国際大会」・デモ(横浜、埼玉)
2004年   4月 日本支部織田正太郎氏死亡
   8月   夏の研修会(山中湖・みやこにて)
2005年   3月 春の研修会(越後湯沢・板屋旅館にて)
2006年   3月 春の移動教室(福島二本松ウッディハウスとうわにて)
  10月 米国ツアー(Witneses Now For Jesus Convention)
        アーレンタウン→シカゴ→ミネアポリス(15名参加)
2007年   7月 夏の移動教室(山形県酒田、酒田キリスト教会にて)
JWTC通信発刊
2008年  2月 春の移動教室(埼玉県寄居・寄居簡易保険保養センターにて)
2009年 3月 春の移動教室(奈良県生駒、関西聖書学院にて)
2009年 7月 夏の移動教室(静岡県富士宮市原、富士山YMCAグローバル・エコ・ヴィレッジにて)
2010年 7月
夏の移動教室ウィルあいち(愛知県女性総合センター)
2011年 7月 移動教室ウィルあいち(愛知県女性総合センター)