2008年1月のある日、仕事帰りの途中、私は一つ手前であるY駅の改札を出、隣接する公園の中を歩きました。北風が頬に当たると電車の中で暖まった体が一挙に冷えてきます。薄暗い幾つかの街路灯伝いに、対岸の米軍基地や停泊中の艦船、潜水艦などを見ながら、一年前の私たちを振り返って見ました。私がものみの塔の研究生をしていた、その頃の妻の苦悩。突然別人と化した私に対し、何故という疑問とともに襲われた孤独感。私と一緒に居ること自体に耐え難い思いをしていました。不安に苛まれ妻はここに佇んでいたのです。私は、このことを後になって知りました。2007年の夏、酒田で開催されたJWTC移動教室において、私達が体験したことを皆様にお話したとき、妻がその時のことを証したのです。離婚を決心していました。3人の子供達を連れて家を出るつもりだったそうです。妻は、肌で感じる冷たさより、氷の世界にいるような心の侘しさに震えていたのでしょう。長い間、涙したと想われます。激痩せし、やつれた妻の顔があらためて瞼に浮かびます。大変な思いをさせてしまい申し訳なかったと詫びながら、今間違いに気付いた私の心は複雑です。2006年の12月頃、私は、妻を想い家族を守るため「エホバの証人」の教えを理解してもらおうと真剣でした。妻が必死に反対する姿には、私自身の信仰がまだまだ至らないから救えないのだと感じていました。「早く集会へ参加しなければ」「伝道などの奉仕活動を始めなければ」とサタンに囚われた家族を救うため心は、一層「ものみの塔」側に傾いていきました。妻の体が日に日に衰えていくことにすら、危険を感じませんでした。反対されるほど、私は心を頑なにしていきました。気が短い私なのですが、なぜか焦る気持ちは起こりませんでした。それほど真剣に考えていたのです。自分の思い通りにならないと直に怒り、周囲に当たり散らす「私」を堪えていたのです。今までの50年間の人生には無かった我慢強さでした。
9年前、私たちは、神奈川に家を建て移り住みました。ほどなく「エホバの証人」の方が「聖書を学びませんか。」と言いながら訪問してきました。代々仏教を信仰する家に生まれ、自身でお経をあげようと「霊友会」に入会していた私は、不快に思いましたが何びとにも快く接するのが修行と考え、とりあえず話は聞くことにしました。但し、輸血問題のことも頭にあり異端な信仰だと決め付けていましたので、大変嫌味な態度で接しました。それでも「エホバの証人」である中年の婦人は、時折訪問してきました。笑顔でやってきては、何かと話し掛けます。聖書のことも話すのですがそれは少しだけで、今の世の中について私の意見を聞き出そうとします。こちらの態度とは裏腹に常に穏やかで上品な話し方でした。それが何年も続くうち、その方たちに親しみを感じるようになってしまいました。初対面の時から、悪意は感じていませんでしたので、自分の心に問題をかかえていた私は、いつしか冊子を垣間見るようになりました。聖書に興味を持ちはじめた私は、つい聖書を見せて欲しいと頼みましたところ、直に「新世界訳」なる聖書を持ってきてくれました。その行為に打たれた私は感謝の態度を示しました。それは、2006年初春のことです。その後、文庫本サイズの冊子をもらいそれを数回読みました。理解しづらかった記述も何度か読むうち内容が判るようになってきました。それから自宅で研究を始めだすまでに時間はかかりませんでした。司会者は、愛と優しさ溢れる青年でした。新婚でしたが、夫婦はとても親切でした。王国会館での集会にも出席し、8月には、横浜アリーナで開催された地域大会に参加しました。会場は清楚な感じの信者で満員でした。子供達も多かったのですが、皆静かに聞き入っているようでした。話す人はすべて穏やかで優しさあふれる話し方でした。私にとっては心に何かを確信した二日間でした。「神は唯一!」。妻に「神棚を片付けよう。」と言ったのはその時です。自宅で聖書の研究、いや「ものみの塔」の指導を受けていたときは許していた妻も、私の一言に大変驚き、恐怖を感じたようでした。その後の6ヶ月間、妻にとっては、まさに地獄だったのでしょう。苦しみながらも、何とか私を引きとめようと必死でした。大野教会を知り、中澤牧師に救いを求めました。一緒に行くよう私に説得してきました。「ものみの塔」の教えに確信を持ちはじめていた私は、良い機会と捉え一緒に出向くことにしました。動き出した電車の中で私は「妻と一緒に聖書を学べますように!」と祈ったのです。
私は今、家庭が失わずに済んだことに安堵しています。苦しみに耐え抜き、家庭を守り通した妻の努力に頭が下がります。感謝しています。夫婦間の信頼が増し、今まで以上に穏やかな家庭になりつつあります。私が間違った道に歩き出し、神の御名を正しく申し上げなかったにもかかわらず、私たちを見守り導いて下された神の存在を感じます。妻が私と共に聖書を学び始めたことには、そのことを「エホバ神」にお祈りした私自身、驚嘆しました。真の神様に感謝いたします。人為的な作為ある聖書の学びの世界より救い出して下された皆様、ありがとうございました。妻が悲しみの涙を流したこの場所で、私は感謝の涙を覚えました。
最後になりましたが山形県の酒田市は私が生まれ育った故郷です。移動教室がその地で開催され、
JWTCの皆様と一緒に出席できましたことは、あまりにも不思議な出来事でした。
大変な思いをされている皆様のため、何らかの形で私たちがお役に立てれば幸いに存じます。
「わたしは道であり、真理であり、命である」 ヨハネ14:6