体験談:「どんな苦難も恵みと変えてくださる神様」 


常盤台バプテスト教会 KY


自己紹介 


 はじめまして。このたび証の機会をいただき感謝いたします。自分のしてきたこと、神様のしてくださったことを振り返り、分かち合っていただければと思います。欠けの多い者でありますが、しばしお付き合いください。


 皆さんは若いころどんなことを目標になさっていましたか。私の目標は人生で成功すること、すなわちできるだけ良い暮らしができることでした。そのため学生時代は猛勉強をしました。数学が得意だったので、大学で数学を学び、希望通りの就職を遂げ、努力をすれば願ったことは何でも実現できると自信に満ち、世の中を甘く見ている生意気で嫌な若者だったと思います。虚栄心に支配され、常に周りと自分を比べ、勝っていると思えば優越感に浸り、及ばないと思えばひがみました。高級な料理を食べ、上質な服を着、そのような暮らしをするための富を得るためには、神や仏など非科学的なものは一切必要なしと考えていましたので、宗教も嫌いだし宗教をする人を理解できませんでした。


 ものみの塔とは7年関わりましたが、あの7年が無ければ自分が砕かれることも無く、罪を感じることもできず、教会に導かれることもありませんでした。私にとって無くてはならない7年間でした。今なお苦しんでおられる方がおられますので、本当に祈っていきたいとは思いますが、起こっている出来事や苦しみは、けして無駄な出来事ではないのだということをお伝えしたいと思います。むしろ素晴らしい出来事の前触れかもしれません。私はものみの塔で過ごしたことを神様の恵みとして、心から感謝しています。


ものみの塔との出会い


 今から19年前、出産で育児に専念しようと仕事を辞めて自宅にいたとき、ものみの塔の姉妹たちの訪問を受けました。最初は変な宗教だと思って敬遠していましたがクリスチャンだというので安心し、聖書を買いました。聖書は昔の本だから国語の古典のように読んでも意味がわからないだろうと思っていましたが、現代人にも読める言葉で書いてあるのだと知って驚きました。そのくらい聖書のことを知りませんでした。山上の説教を読んで感動し、イエス様ってすごい人だったんだと思いました。聖書という鏡に貧しい自分が映りました。今までの価値観は間違っていたのではないかと感じ、もっと知りたいと思って研究を始めました。ところが学びが始まると、ものみの塔の教理は薄っぺらで無価値な気がしてがっかりしました。本当は研究を断りたかったのですが、姉妹がいい人だったのと、この世の富にまったく興味を示さない彼らの生き方があまりに愚かに思え、なんでそんなに愚かなことができるのかと、その理由が知りたくなったためでした。


 その後2年の研究で私が信じたのは教理ではなく、キリスト教会が聖書を読まず堕落しているということでした。4年経ち、納得できないが信仰とはこの程度のものなのだと思い、バプテスマを受けてもいいかなと思うようになりました。集会と奉仕、すべての活動に参加することを決意しました。


 敬愛していた司会者である姉妹はその決意を大変喜んでくださいましたが、ほどなく再生不良性貧血で倒れ、輸血や血液製剤を拒否し、発病からわずか1ヶ月で亡くなりました。姉妹は最後まで勇敢に戦い、楽園を信じて亡くなりました。姉妹の遺言で一人娘の20歳のお嬢さんが司会者になりました。お嬢さんは「ものみの塔の教えは本当なんだろうか、母の死は正しかったのだろうか」と私に言いました。「楽園で会えますよ」と信じてもいないことを口にし、お嬢さんを喜ばせ元気付けるため証人らしい言動をするようにしました。口に出していると、その気になっていきました。


娘たち


 長女が4ヶ月の頃から学びをはじめました。お尻をたたけと言われて涙が出ました。ごめんねという気持ちで叩きました。しかし叩くことに慣れていきました。次女が2年違いで生まれました。次女が5歳のとき幼稚園に行っていることを暗に非難されるのに耐えられなくなり辞めさせてしまいました。次女はその喪失感で小児性ウツ症状となり徐々に進行し、中学二年から本格的なうつ病を発症し以来5年間不登校を続けています。


夫の反対


 夫は証券会社に勤めており最初から学びには反対でした。4年ほど経って奉仕を考えるようになったころから、ますます反対が激しくなり殴る蹴る罵倒するの三点セットが日常となってしまいました。首を絞められたり、寒い雨の日にパジャマのまま裸足で外に出され一晩過ごしたこともあります。顔を平手で連続10発以上殴られ瞼が切れたこともありました。目玉が真っ赤になって病院に行ったとき通報されそうになりました。殴られても私は抵抗せず、夫を得るための試練だと考え、黙って何発も大人しく殴られました。それがどんなに夫に悔しさ悲しさ、不気味さを与えたかは想像できません。


 娘二人に対する体罰も激化しました。平手で殴られ顔が腫れ上がり、腕には爪の食い込んだ跡が絶えませんでした。脳波を調べなくてはならないこともありました。記憶障害、学習障害などが起こるかもしれないと言われました。 6年くらいしたとき、突然夫が学びたいと言い出し期待が高まりましたが、研究は私としたいと言いました。長老もそれでいいだろうと仰いました。夫は何と集会にも出て、大会まで出ました。毎日聖書研究を二人でしましたが、夫は伝統的キリスト教も調べていました。


脱会


 夫は一通り学ぶと間違いだと分かったと言って学びも集会も一切辞めました。毎日5時ごろ帰ってきて私が集会に行かないように見張りました。それでもやめないとわかり離婚を決意しました。両方の実家と仲人さんにその意思を伝えました。仲人さんは岐阜で市会議員をしている人でしたが、ものみの塔が原因で離婚すると聞くと、今から東京に来ると言いました。そのとき初めて仲人さんが昭和二十年にものみの塔に関わっていたと知りました。昭和二十年のころは、ものみの塔のバプテスマはアメリカの大会でした受けられなかったので、渡米する費用が捻出できず正式なエホバの証人ではなかったのですが、伝道者として戦後活動していたのだそうです。 ものみの塔をやめた人は「背教者」と呼ばれ危険であると教えられていましたので、大変恐れ緊張しましたが、私には何も言わず夫にだけ、「悪いことする人たちじゃないよ。どうしても離婚しなきゃいけないの?」と言いました。当然反対されると思っていたので拍子抜けしました。帰りがけに「いつになったら来るんでしょうね。楽園は。」という言葉を残して帰っていかれました。 「背教者」ってなんて優しいんでしょう。(笑)


 そのすぐ後、夫はクリスチャンの上司に相談しました。夫の話を聴いた上司は、どこどこの銀行に熱心なクリスチャンで、Yさんという人がいるから相談してみようと連絡を取ってくださいました。早速Yさんの呼びかけで、夫の証券会社のクリスチャンの兄弟が集められ、平日の昼間、会議室で祈祷会を開いてくださいました。夫は、同じ会社内の見ず知らずの人が自分のために時間をとって集まってくれて、びっくりしたということです。Yさんは祈祷会に来るため自分の会社を抜け出して来てくださいました。そのとき教文館でわざわざ本を買って持ってきてくださいました。私はそれらを聞いて大きく心が揺れました。


  夫がもらってきた本は脱会した人の証しでした。Yさんの気持ちは嬉しく思いましたが読めませんでした。それでも読もうと思ったのは、著者がMITで数学を専攻した男性で、自分と同じ数学をやっていたことに親近感を覚えたことと、わざわざYさんがこの本を選んでくれたのではないかと更なる揺さぶりがかかったからです。その本は間違いを指摘するというよりは、イエスキリストを救い主と信じることによって作り変えられた新しい人生の紹介でした。著者の喜びと歓喜に共鳴するように、読み終わると7年間の迷いは完全に消え、私も教会でそのような新しい人生を歩むよう招かれているという、神様の招待を感じていました。 ものみの塔はやめようと決心しました。


脱会後の毎日


 ものみの塔が間違いだと気づいても、イエス様と出会ったわけではなく、ただ空虚でした。家族や親兄弟に自分がしたことへの後悔と罪悪感、近所の人や友人や親戚に対しての恥ずかしさ、後ろめたさ、間違っていたということを認め口に出すことは惨めでした。 集会も奉仕も人間関係も無くなり空虚でした。ものみの塔のロボットになっていくに従い自己が無くなってしまっていました。7年前はどんな風に物を考える人だったのか、どんなことで笑っていたのか、どんなことで泣いていたのか思い出せませんでした。自分が破壊されてしまったかのように感じました。自分を思い出そうと、若い頃楽しいと思ったこと、熱中した事柄を思い浮かべました。高校時代、数学好きだったなぁ、もう一度やりたいなぁ、と漠然と思いました。


 ほどなくして、突然田舎にいる高校時代の数学の恩師から電がありました。高校卒業して初めてで何事かと驚きましたが、内容に更に驚きました。もう一度数学をやってみないかという誘いでした。偶然とは思えず、神様の慰めを感じました。


教会で求道


 脱会後、キリスト教入門書などを読み、また聖書も色々な訳を読んで、イエスキリストこそ救い主であると確信したのですが、教会に足を運んだのは半年後でした。すぐバプテスマを受けたかったのですが、夫はキリスト教を認めているわけではないし、また家庭が壊れるのではないかと恐れが生じました。


 誤解を招くようですが、教会はカルトの問題に詳しくありません。理解されないし、むしろ質問すると批判しているように受け取られてしまうようです。もし今そのように感じておられる方がいらっしゃったら、どうかそのことに落胆なさらないでください。教会を通して神様は必ずさらに良いものであなたを満たしてくれます。そのことを忘れないでいただきたいのです。


 教会の中では大切にされ親切にされました。でも自分の苦しみを共有できる仲間が欲しいと思いました。自分が壊れており、立て直すことに必死になっている苦しさを誰かと共有したいと思いました。一年くらい経ったころ元JWのHさんが教会に来られ嬉し涙が出ました。そして初めてJWTCの存在を知りました。Hさんと会えたことで、何だか嬉しくなり、いつのまにか孤独感は無くなり癒やされていきました。


 三年ほど経っても夫に対する恐れが消えず、惰性のように教会に通い、礼拝も退屈だとさえ感じるようになってしまいました。そのようなとき説教中に突然イエス様の声がしました。「自由になりなさい、まず家族の中であなたが救われなさい」、というような感じでした。驚きのあまり椅子からひっくり返りそうになって心臓がバクバクしました。今の何?これがイエス様に出会うって言うこと? 涙が溢れ、恐れから開放され、喜びと平安だけに満たされてしまいました。怖いものは何もなくなりました。何でもござれという感じです。何でも受けて立とうじゃないの。だって神様がついていてくださるんですから。


 翌週、今日こそ決心しようと前のほうに座りました。招きの時に前に出ると、もう一人決心者が出てきました。その人をみてとても驚きました。なぜかって、元JWのHさんでした。まったく神様ってどういう方なのでしょう。信じられます? (笑)


JWTCと再び


 イエス様と出会ってからも、JWのために何かできないかという気持ちをずっと持ちながらいましたが、忙しさの中で何をしてよいかわからないまま十年が経ちました。私は教会の奉仕でホームページを作っていましたが、最近ホームページの制作を色々な所から頼まれるようになっていました。そのひとつに神学校がありました。神学校の授業にも出るようになり、宗教学でJWのことを学びました。これから教会で牧師となっていかれる神学生の方々に、JWの被害者の苦悩を知っていただけると期待しましたが、設立の経緯や教理が主で、被害者の実情の学びではありませんでした。教会の方たちにJWの問題を知っていただき祈っていただきたいと切に願い、自分も何かできることはないかともう一度考えるきっかけとなりました。 そこで、JWTCに行こうと思って集会の日程などをホームページで検索しましたが、検索できず、本格的なホームページが無いということをこのとき知りました。必要としている人にJWTCの存在を知っていただくためホームページが必要だと思いました。そこでHさんを通じて作らせていただきたいとお願いしました。皆様にお許しいただき作らせていただき、本当に感謝をしています。


  これを最後まで読んでくださった方は今大きな苦難の中におられるかもしれません。出口の見えない苦しみの中におられるかもしれません。でもどうか希望を失わないでください。神様は確実に働いておられます。そして今この苦しみを将来大きな祝福としてくださるはずです。 イエス様は天におられるのではなく、今あなたのすぐそばにおられ、一緒に歩まれています。そのイエス様に出会ってください。いつも皆様のことを心からお祈りしています。