「帰りたいところ」ヘブンズフラワー原田康次

 九州のJWTF(エホバの証人に自由を)が、福岡でウイリアム・ウッド師による最初のセミナーを開いていた頃、奇しくもお茶の水では中澤啓介先生がJWTC を始めておられました。脱会した母がお世話になり、皆さんに助けていただきました。私も何度か招いてくださり、元証人やクリスチャンの方々との出会いを通して大きな力を得ることもしばしばでした。福岡では、昨年3 組の方の救出が試みられ、2 組が成功、1 組は失敗?ところがこの1 組に奇妙な現象が見られるのです。なんと説得が成功しなかったにも関わらず、その方(現役開拓者の奥様)はご主人と一緒に私の教会に定期的に来られ、牧師と聖書の学びをしているのです。教会を悪魔の巣窟とも思っておらず、牧師に対する拒否反応もなく、ほとんどものみの塔の教義が入っていないそうで、牧師は頭をひねっています。ところが、奥さんの信仰がおかしいと言って連れてきているはずのご主人の方が聖書や神様について関心が薄く、奇妙な学びになっているそうです。
 以前中澤先生が福岡のセミナーで、「ものみの塔はどうも、キリスト教にすり寄ってきているようだ」というお話をされたことがありますが、この現象はそのことの現れなのかな〜という気がしています。ご相談者のご主人の多くは「自分は無神論者だ」と言われる方が多いのですが、ご自分は信じないが、お前も信仰を捨てろと言っているわけです。では一体救出をして、家族を何処へ連れて行きたいのでしょうか。私の亡くなった父は、宗教にも、もちろんカルトにも疎い人でした。妻や子供たちの宗教に、強いいらだちを持ちながらも、成す術を持ちませんでした。もちろん息子がカルトを辞めたと知っても、どう対処すればいいか、など想いも及ばなかった人でした。カルトを脱出して漂流していたとき、私が帰りたかった所は、どんなところだったのか少し考えてみました。

 暴力・暴言のない所。
 欠点、失敗、足らなさを挙げ連ねる人のいない所。
 家、宗教、政治など、自分の価値観を押し付けられることのない所。
 失恋をした私、病気の私、老いた私をぞんざいにしない人のいる所。
 人を人とも思わず、子供だから、年寄りだからと疎ましくしない人のいる所。
 私が弱いとき、話を聞いてくれ、支えてくれる人のいる所。
 誰かと比較されることのない所。
 「あなたはあなたのままでいい」と言ってくれる人のいる所。
 時には私の間違いを率直に言ってくれる人のいる所。
 気遣うことばをかけてくれる人のいる所。・
 私の能力や、力を豊かに活かしてやろうとする人のいる所。
 いわれのない、いじめのない所。
 人と違っていても、私の少しの趣味・嗜好を認めてくれる人のいる所。
 私がお金持ちだから、能力があるからという利用価値抜きで愛してくれる人のいる所。
 暖かい寝床があり、生きていけるだけの食べ物のある所。
 私が求めてきたもの、求めているものを「つまらない」と言わない人のいる所。

 私がキリスト者でなかった時、ナザレの大工イエスを「神と崇める」ことは狂気の沙汰でした。それは、科学的でも、論理的でもありませんでした。理性的とも思いませんでした。しかし人をキリスト者にするのは「神の業」であり、それは神からの賜物なのです。そうした者から見れば、最も救われなければならないのは、エホバの証人である被害者だけではなく、ご相談者である家族の方であると思えるのです。イエスはこう言われました。「これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現わしてくださいました。そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。」(ルカ10:21)
 JWTCの皆さんのお働きに、神様の祝福がありますようお祈りしています。