「マインド・コントロールと信教の自由」


西舞子バプテスト教会 牧師 表博之

1988年10月の礼拝に11人のエホバの証人、研究生の方々が出席されました。

この出来事が牧師として、エホバの証人問題について本格的に取り組むきっかけとなったのです。1ヶ月もしない内に約30人程の証人、研究生の方々が来会されるようになり、エホバの証人の実体、救済の必要性などを再認識させられました。1989年の秋頃から、当時、副牧師であった草刈師を中心に出版活動、家族の支援、証人への伝道など救済活動を始めたのです。エホバの証人の特徴は衆知のことですが、「マインド・コントロール」であり、内容のある論議に入ると話し合いが中断されてしまうことです。「1975年ハルマゲドン説の誤り」「十字架と杭」「輸血の問題」等々、証人の出版物で教理の矛盾について話し、強いインパクトを与えるのですが、司会者や長老のアドバイスが入ると、それで話し合いは終ってしまいます。このような体験を繰り返しながら、「もっと役に立つ方法は何か?」と試行錯誤していました。そのような中で「統一協会からの救出」を学び、保護説得の救出活動が始まりました。1990年からの約10年間の働きによって100人近い研究生、証人の方々が誤りに気づかれ、救出されたのです。大きなリスクを抱える救出法であり、カウンセラー、家族の精神的、身体的、経済的負担は甚大です。しかし、救出された時に、喜びもとても大きな喜びでした。イエス様が迷える一匹の羊が発見される譬えで語られたような「大喜び」といえましょう。

しかし、このような救出方法は緊急避難であり、一時的でありました。2002年8月、3年4ヶ月に渡る裁判闘争の結論は次のこととなったのです。

「原告の意志に反して一定の場所、空間(山荘)に連れて行くことは、原告の身体、精神の自由を侵害するものであり、その手段が社会的に相当なものであったと言うことは困難である。つまり、その手段は社会的には、許されないというものである。」保護説得が相手の「信教の自由を侵害すること」となりました。
現在の救出活動の理念は、同意説得が主軸となっていると思われます。しかし、様々な経緯の中で傷ついた関係修復は決して容易ではありません。今後の救済活動の一つの道として、すでに同じ視点で実践されている方もいらっしゃるでしょうが…、共に考えていただきたいのです。


日本におけるエホバの証人の特性は何でしょう。すでにお伝えしているように、強いマインド・コントロール下におかれていることです。日本では法律上「信教の自由」が保障されていますが、実生活では様々な圧迫の中にあるのも事実です。家族や社会からの反対によって、証人たちはより集団(エホバの組織)に依存、順応して、人格的自律、個人性を失っていっているのです。教理の誤り、矛盾をいくら指摘しても組織の一員である道を歩む選択をすることでしょう。すでに強い依存、相互扶助の関係が出来てしまっていると考えられます。日本人の特性は、今日でも個人よりも群れの一人として歩む傾向があるのではないでしょうか。「強い反対」は「強いマインド・コントロール効果」を生じるでしょう。キリスト教の歴史からも迫害によって宗教はより強化されて来ました。今日、エホバの証人の教理的誤り、矛盾は明らかであって、資料も十分にあります。「キリストの神性(三位一体論)否定」「1914年から始まる終末論」「輸血の禁止」「信仰+わざによる救い」「御名について」このような重要教理はすべて「統治体」の教えであり、聖書の教えではありません。マインド・コントロールが薄められ、自らの意志でこれらの情報に触れていただける環境が出来るなら、教理の誤りについては大半の証人も認めることとなるでしょう。「宗教の力」「反対によってあきらめるとの認識」さらには「信教の自由の実践」等について再考する必要があるのではないでしょうか。


法律で保障されている「信教の自由」を実践し、「エホバの証人に信仰の自由」を認めるなら、「悪魔、サタンによる迫害」と教えられている「親族の反対体験」がなくなり、証人の教えと現実とのギャップによってマインド・コントロールにかかりにくくなり、警戒心も弱くなるでしょう。魚が警戒して岩穴の中にいる間は、なかなか捕らえることは出来ません。「反対しないので、この資料をよく調べてほしい!疑問に答えてほしい!」と率直に尋ね、話し合う機会をもてるのではないでしょうか。

エホバの証人の大半は、人間としては誠実で、よく学び、生きることを真剣に考える方々が少なくありません。

既存の教会がよく教えなかった終末の年代の明記と現実の世界情勢とを対比させ、「これこそが聖書の教え」と思い込み、さらに、厳しい反対により「真にエホバこそが神の組織」であると、コントロールされたのではないでしょうか。強い反対から同意説得に転じても、一度傷ついた傷はなかなか回復しません。一般の証人、そして長老の方々も、「統治体」によってマインド・コントロールされている人々なのであり、コントロールからの解放を必要とする人々なのではないでしょうか。