「エホバの証人の妻との関わり」 N・A


JWTCではお世話になりました。
この度は、私の妻がエホバの証人であり、私と息子がJWTCに出席させて頂いたことから、私共のエホバとの関わり等について紹介させていただきます。
私達家族は、夫婦、長女、長男、次女の5人家族で、エホバの証人の信者は妻一人だけです。

1 家族構成

  (1) 私:61歳  3月仕事を定年退職し、夫婦で郷里に引っ越して居住。
  (2) 妻:60歳    日曜日の集会に二人で通っている。
  (3) 長女:36歳 4年前に結婚し、子供が1人いる。
私の威圧的態度に批判的で、母が入信してしまったのは父にも責任がある。母の脱会については難しいと考えており、父が妥協して、母がエホバを継続することを容認したら良いとも考えている。
(4) 長男:33歳 5年前に結婚し、子供が2人いる。
                     2年前に私が離婚するという相談を持ちかけたことから、エホバについて、詳しく知りたいと勉強を始め、何とか脱会させたいと頑張っているが、思うようには進展せず苦慮している。
                   しかし、絶対諦めては駄目だと全面的に応援してくれている。
(5) 次女:25歳  小学生のころ王国会館に連れて行かれたが信者にはならず、宗教と親の離婚問題の影響で5年前にうつ病を発症し、大学を中退した。現在精神科にも通院治療中で、エホバ脱会には賛成だが、積極的協力は得られない。

2 エホバの証人との関わり

妻は約25年前にエホバの証人の戸別訪問を受け、徐々に教団に魅力を感じるようになり、15年くらい前にバプテスマを受けて開拓者となる。
  そのころから、親戚の結婚式に出ない、実の親の葬儀でも手を合わすことすらしない等が目に付くようになり、エホバを辞めるか離婚するかで、夫婦の口論が絶えなくなる。平成7年に引っ越し、王国会館も変わり、夫婦は口論するが、子供たちは介入せず、長女、長男は就職して家を出てゆき、次女と3人の生活になった。
次女が高校生のころ、私の両親が脳梗塞、脳出血で同時期入院し、約3年間介護生活の後両親とも平成16年、19年に逝き、妻からは「エホバをやっていたお蔭で大変な介護もちゃんとできた。」と言われ、何とも返答のしようがありませんでした。
しかし、このままの状態を放置するわけにも行かず、妻と話し合い「エホバについて何も分からない俺を納得させてくれ」と、妻に言って、日曜日の集会に王国会館へ同行したが、私には理解のしようがない、エホバの証人たちの幼稚園生の様な演舞式と鳥肌が立つような握手攻めの対応に、理解どころか反感を強めてしまいました。
  このころから、夫婦の会話が無くなり互いに次女とは話をして、次女に夫婦喧嘩の仲裁役をさせるようになって、互いに歩み寄ろうとしないで、エホバと離婚を絡めたイザコザを目の当たりにした次女は心の体調を崩し、うつ病を発症し、家を出て単身居住をするが、大学を卒業することができないで中途退学してしまいました。
    次女が家を出てから夫婦だけの生活になりました。会話がないままの状態が続いて、私の定年退職まで2年となった、平成21年春に妻とは会話が成り立たない日々が過ぎていきました。
長女、長男に妻との離婚覚悟で相談したところ、長男から「父は離婚すれば、縁が切れるかしれないが、子供は縁が切れない。 後、数年で介護することにでもなれば、両親別々は避けて欲しい。」と言われ、エホバについて勉強して、脱会できるものなら脱会して貰うよう考えようと思いました。私自身も、エホバのことを何も知らないでいたことを気づかされました。

3 脱会に向けた行動

私が真剣に離婚を考えていることを感じた長男は、何とか離婚を避けて欲しいと考えて、妻とエホバについて真剣に勉強すると共に、インターネットや図書館で資料を探していました。平成21年10月カルト研究リハビリセンターとウッド先生の著書に出合い、脱会させるために必要な聖書やキリスト教に関して勉強を進めて行動を始めていました。
そして長男は、妻が親しくしている信者仲間と接触したり、王国会館にも一緒に行ったりして、勉強していました。平成22年になって、ウッド先生の助言を得ながら脱会させるための準備をし、9月に長男と私が主体で、話し合いを試みました。妻も何とか脱会に向けて気持ちが動いていたのですが、帰宅して信者仲間と接触した途端「エホバは辞めない。」との信念に戻ってしまいました。その直後、私、長女、長男が同行して、ウッド先生と元信者の方に協力してもらい、話し合いを試みるも、妻は全く話を聞く姿勢を示さないことから、長男ばかりが王国会館に同行するのではなく、私と長女も時間が許す限り同行し、信者仲間とも接触して話すように心掛けることとしました。そして、これまで妻とは会話しなかったことを改め、積極的に会話もすることにしました。
  また、王国会館では信者仲間から握手を求められ、気持ち悪くて断っていたのを仕方なくこれからは握手にも応じることとしました。
    11月になって妻とは、会話はするが、話に内容が伴わず、いよいよ離婚しかないと子供たちに相談したら、長男は変わらない考えで、長女も同意見で「離婚は避けて欲しい。」と説得され、退職へ向けての書類作成の都合もあって、長女立ち合いで、妻の意思確認をしたところ退職後は一緒に実家に帰ることを確認しました。
    妻と離婚しないことにしたが、会話の成り立たない妻との生活に、ストレスが溜まる  一方の私に、長男がJWTCを紹介してくれ、今年2月のJWTCに参加させていただき、元信者や信者の家族の方達と話す機会を得て、私は本当に気持ちが安らぎ、今後も諦めないで頑張れる気持ちの整理がつきました。



4 帰郷してから

3月の地震の後、定年退職して実家に妻と2人で帰郷して2ヶ月が 過ぎましたが、10余年ほったらかしていた土地や家は思ったより酷く、弟達の応援を得て、 筋肉痛を起こしながらの片付けも捗らず、やっと寝起きする場所を確保したところです
  一方エホバの証人の王国会館は2年前までは同じ町内にあって車で5分の所にあったのが、 合併し、車で20分の隣町に所在しています。ペーパードライバーの妻は、東京では練習して自分で通うと話していたのに、帰郷して日曜日の集会に2度送迎したところで、妻に「自分で運転するって言っていたのに練習する気がないじゃないか」と追求したところ、泣いて 叫いて、子供達に電話で叫き散らすので、炊事洗濯を文句言いながらでもやっていることから、日曜日の集会だけは送迎することで納得している現在です。
しかし、土曜日午前中の奉仕活動は、送迎はせず、妻が信者仲間に電話して送迎して貰っています。王国会館でやっていることは、前の会衆でやっていたことと殆ど同じやり方で、ただ集まる人数が7〜80人だったのが50人前後と少なめですが、4月17日の記念式は72名でした。その他今まではなかった長老夫婦や信者仲間の自宅訪問が頻繁にありその都度、妻が対応しています。新しい仲間が増えたとの歓迎を表しているのかもしれませんが真意は分かりません。
寄付金については、こちらでは月に3千円でそれ以外は出していません。

5 これからのこと

王国会館に顔を出すようなって半年すぎましたが、何がエホバにそれほど惹き付けられるのか、こだわれるのか、まだ私には理解出来ません。
また、信者仲間が発する、ラブシャワーと言いますか、通常の付き合いではあり得ない、会話や接触方法についても真意が掴めません。
 今後は、元は反対者だった夫で今は夫婦で信者になっている夫婦等にも働き掛け、何を話せば妻と会話が成り立つかを考えてゆこうと思っています。現在はやることが多すぎて、何時からそのようなことが出来るか判然としませんが、近くの教会の牧師さんにも相談したりして長男の言うように諦めないで頑張ってゆこうと思います。