「エホバの証人からクリスチャンへ」 F・S

 私のエホバの証人歴は14年です。研究生時代から数えれば18年位関わっていました。

結婚して家に居る時間が多くなりエホバの証人の訪問を受けたのがきっかけでした。以前から聖書を読んでみたいと思っていましたので研究に応じ、これは真理だと確信し、家族で楽園に入ることを楽しみにしていました。エホバの証人としての生き方にも満足していました。周りの仲間との交わりも楽しく、まさか自分がエホバの証人を辞める日がくるとは全く思っていませんでした。自分はこのままずっと、たとえ生きているうちには楽園がこなかったとしても、こんなによい友人に囲まれ、人生について深く考え語り合える場は他には見出すことはできない・・・とも思っていました。と自分に関してはそうだったのですが、子供をエホバの証人になるように育てる、ということにはずっと葛藤がありました。幼い時から子供に一つの選択肢しかないと教えてしまう事の影響を考えると・・エホバの証人にならなければ滅びてしまうと思いつつも、もし間違っていたら・・、一人の人の人生を決めてしまう事になりかねないその重さは、親であっても背負えないと思いました。それで子供には自らの意思でその生き方を選んで欲しいと思い、親として集会には何があっても連れて行く、そうすればおのずと何が正しいのかが分かり、いずれはエホバの証人になる道を選んでくれる、選んで欲しいと思っていました。でももし本当だったら・・子供を助ける方法はエホバの証人にするしかないのですから、周りの子供を持つエホバの証人の親たちが他の選択肢はないものとして子供に教えているのを見ながら、そうできない自分の弱さを責め、私のような親の子はいずれ組織から離れてしまうのではないかと不安な気持ちになり、集会でつまらなさそうにしている子供にずいぶんひどい事を言ってしまったこともありました。

時が経ち子供は高校を卒業し就職しました。それは子供が小さい頃からの夢を実現させるものでした。親として本当に嬉しく喜びでした。でもそれは集会の出席が難しい職種でしたから、エホバの証人としての私は「喜んでいる場合じゃない、これで子供は組織から離れて滅びてしまうのに何を喜んでいるの?」と自問する日々でした。まるで子供の余命宣告を受けたかのように“ハルマゲドン”が急に現実に迫ってくるようでした。感情と思考が矛盾し、ただただ涙が止まらない、自分でもいったい自分がどうなってしまったのか分からない状態でした。メンタルクリニックに行きうつ状態だといわれ、集会も奉仕も行きたくなくなってしまいました。でもこんなに弱っているときに乗じてサタンがいっそう攻撃をしてくるかもしれないと思い、今ここで私が組織から離れてはいけないと抗うつ薬を飲みながら、いままで以上に集会や奉仕に励んでいました。その一方で「子供が成長し自立していくことは親にとって喜びであるはずなのに、エホバの証人にならなければ何の意味も無いの?」と思ったり、平安をもたらすはずの宗教が逆に苦しみの原因になっていることに「何の為の宗教?」とも思いました。でもそう考え続けるなら、エホバから(組織から)気持ちが離れていきそうで恐くなり、悪いのは自分の弱さでありサタンがその苦しみを利用してエホバから私を引き離そうとしているのだ、とそういった考えに蓋をしていました。そしていったんは手放してしまった子供を組織に戻す事ばかりを考え、策を講じていました。その頃、奉仕を終えて帰宅するとインターネットで“うつ病”を検索し読むのが気晴らしになっていました。ある人のブログを読んでいると、「聖書を学んでみたい、エホバの証人のように他の書籍を学ぶのではなくて、・・」とありました。えっ!!と思いました。聖書じゃなくて他の本を学んでいる?エホバの証人のことをそんな風に思う人もいるんだ、と思うと同時に何かがひっかかりました。他の本?・・もしかして(聖書とは)違うことを信じているのかも・・、と。そう思ったのには理由があります。以前奉仕中に他の証人と話していてエルサレムの崩壊の年が一般の歴史と違うらしい、という事が話題になったことがありました。その時はたとえそうであっても組織の出版物に書かれている通り考古学よりエホバを(=組織を)信頼しようということで話は終わり、私もそう思いました。それに例え年代が違っていてもエホバがおられる事に変わりはないし、神がおられるならいずれこの不公正な世を正される日が来るのだから、とその時はそれ以上調べようとは思いませんでした。でも今度は違います。
もしエルサレムの崩壊の年が西暦前607年でないなら西暦1914年に何の根拠もなくなり、この組織が地上で用いられる神の唯一の経路であるとか、今が終わりのときの最終部分でもうすぐハルマゲドンがくる、という“真理”も崩れるのではないか、そうであれば自分の道を歩み始めた子供を組織に戻すこともなく、そのことに苦しめられる必要もないのではないか、と思いました。もしこの疑問について組織外の情報から調べることが組織の言うようにサタンの罠だったとしても(組織はたとえ理解できないことがあったとしてもエホバを待つ=組織に従順であるようにいっていましたので)疑問をもったまま続けるより、ありのままの自分をエホバに裁かれるなら、自分の責任としてその結果を受け入れられると思いました。それにもし間違っているのなら、
組織を離れてもひょっとしたらハルマゲドンの教理に縛られているかもしれない子供に話さなければ、間違っていることの為に多くの時間を奪い傷つけてしまった子供に謝らなければと思い、一度立ち止まって調べようと決めました。

それからは奉仕や集会の予習に当てていた時間を使ってインターネット、本などいろいろな情報を読み漁りました。エホバの証人に関する情報がこんなにたくさんあることに本当に驚きました。そして今のエホバの証人が全く知らされていない組織の実態に驚きました。新世界訳聖書が組織の教理に合わせて改ざんされている事、信頼していた組織の出版物にみられる欺瞞や矛盾など、エルサレムの崩壊の年の間違いだけでなく自分が信じていた事の殆どが聖書の教えではなく、ものみの塔の間違った解釈にすぎなかったのだと分かり本当に驚きました。まさに“ものみの塔教”だったのです。そして多くのエホバの証人が自分と同じような疑問をもち、組織の警告を破って(サタンの罠にかかって?)こうした情報に触れ組織を去って行ったことを知り、私だけではなかったのだと安心しました。また、どの人の語ることにも共感でき、だんだん自分の考えや感情が戻ってくるようでした。おかしいことをおかしいと思ってよかったんだ、というような。それでも神の存在や、聖書が神の言葉であることは信じていました。真実はたとえ異なる意見を聞いたとしても変わらないものなのだ、と思いました。それに比べてものみの塔の解釈はあっというまに崩れるのです。真実でないものを真実にみせようと取り繕っても、誤魔化しが見えてくるだけです。中にいると分からないものですが・・・。そして集会も奉仕も一切の活動を停止しました。仲間の人たちが心配して家を訪ねてくれることも続きましたが、真理でないならもう続けることはできない、この気持ちが揺らぐことはありませんでした。

さて、エホバの証人を辞めてこれからどう生きていけばよいのか、神も聖書も信じている、それらが無かった頃の自分に戻りたいとは思わない、ならいったい私は何処へ行けばいいのだろう・・。その頃はまだ組織から教えられたキリスト教のイメージの影響を受けていましたから、キリスト教は聖書に従っていない、形式的なものになっていて本当の信仰は見出せないと思っていました。いろいろ調べている中で大野キリスト教会の存在をしりました。その教会でエホバの証人からクリスチャンになった人がいることを知り(エホバの証人の教理を信じていた人が)どうして教会のクリスチャンになったのか聞いてみたいと思いました。それにものみの塔が間違っていたのなら聖書の“救い”っていったい何なんだろうとも思いました。それで大野キリスト教会を訪ねる事にしました。そしてそこで教会の礼拝を初めて経験しました。祈りが捧げられ、神を賛美し、聖書が朗読され、聖書からのメッセージが語られる。本当に聖書を信じているのはエホバの証人だけだと思っていた自分の無知さを知り、あまりにも一方的で偏った組織からの情報を鵜呑みにし、狭い世界の中で独善的になり、まったく盲目になっていた自分に気付きました。まさに“目ざめよ!”ならぬ“目ざめた!!”です。でも、すぐには教会へと踏み出せませんでした。また宗教に関わることを子供たちはどう感じるだろうかとか、また「ここも違う」という結果になったらどうしようとか、新たな世界に足を踏み出すエネルギーがなかったのだと思います。東京のJWTCに出席しはじめたのはそんな気持ちからでした。心にあるいろいろな思いを語り合える友人もいなくなってしまいましたから、そこでのクリスチャンの方々との交わり、聖書からのメッセージがその時の私の支えでした。月に一度JWTCに行く、それが楽しみで、行って帰ってくるたびにだんだん元気もでてきました。そして聖書のメッセージを聞いているうちに、やっぱりこうして聖書の話が語られる場所にいたいなと思い、教会へ行ってみようと思いました。
教会で私の罪の為にイエス様が死んでくださり、私の罪が赦されていることを知りました。こんな私の為に・・私が何者であるかにまったくかかわりなくそのままの私で、私がまだ気付きもせず感謝することもない時にも、傲慢にも“神のご意思を行っている”と豪語していた時にも、私はただ受け取ればいいだけ・・。その恵みに、本当の“福音”に涙が溢れました。寒い夜に、柔らかくて暖かい毛布でそっと包みこまれたような体験でした。ちっぽけな自分に向けられた神様の大きな愛に私はただひざまずくしかなく、心が感謝の気持ちで満たされました。それはエホバの証人の時には一度も感じることのなかったものでした。エホバの証人時代の信仰はエホバ(=組織)への従順を“行い”で示すものでしたから、次々に出される組織の提案に従う事ができれば、罪の本質から目を逸らされ、人を裁き、高ぶる心を見透かされているようで、気持ちが付いていかず、できなければ後ろめたく、何もしていない事に罪悪感がありました。どちらにしても私にとって神は遠い存在でした。今思えば心安らぐ時が無く、神に愛されているという実感は全くなかったように思います。“行い”から恵みに感謝する信仰へと変えられ、神を信じる事が苦しかった日々が喜びの日々へと変えられていきました。(改ざんされているとはいえ)同じ聖書を読みながら全く違う、似たような救いのストーリーでありながら全く違う、本当の福音に、今は心からの平安が与えられ、日々を穏やかに過ごしています。そして私に神様が全てのことを働かせて益としてくださったように、子供たちにも信仰を与えてくださる日が来ることを信じ、祈りつつ、感謝を捧げ生きていきたいと思っています。心から神を賛美します。
エホバの証人の方々に聖書の本当の福音を聞く機会が開かれ、信じる事ができますようにお祈りしています。