「全てを導いてくださった神様に感謝!!」 F・T
2012春のニュースレターのF・Sの夫です。妻より2年程後にバプテスマを受けエホバの証人となりました。 長男が一歳位の頃、妻が聖書の話を聞いていることを知り、少し心配になりましたが、妻が楽しそうに証人との会話を話すので、聖書の話なら悪いことではないだろうし、話し相手ができて良かった位に思っていました。そのうちに妻が集会に行きたいと言い出し、子供も小さかったので子守代わりに一緒にちょくちょく行くようになりました。そうこうしているうちに会衆の兄弟から家庭聖書研究を勧められ、妻が何を学んでいるのか知っておこうと思い、週に一度仕事が終わってからその兄弟のお宅に寄って研究をする事にしました。私自身はそれ程教理に関心がなく妻のように「これこそ真理だ」と思うこともありませんでしたが、さりとてハッキリと否定する程の事もなく、研究司会者の兄弟の豊富な知識と人間的な面白さで何となく続けていました。そして集会で会うどの人も誠実で穏やかな人達でしたから、いつしか警戒感は薄れ、家族一緒に集会や大会に参加していくうちに、胡散臭い宗教団体もある中、“教祖”として崇められている人間も居らず、この組織は本当に神を崇拝している組織だと思い、自分もエホバの証人になりました。 会衆では“奉仕の”として集会の割り当て、週末の奉仕の司会など忙しい日々でしたが家族がいましたから仕事を辞めてまで没頭しようと思ったことは無く、自分のできる範囲の事をすればいいと思っていました。自分がそんなでしたので子供が就職し組織と交われなくなった時も妻ほど落胆することも無く、今は集会に来られなくなっても親が続けていればいつか組織に戻ってくるだろう位に思っていました。ですから妻が疑問を持ち、いろいろ調べ始め、本を取り寄せては読み漁っているのを見て正直動揺しました。組織は家族でも背教の影響には注意するよう警告していましたが、うつ病の事もあり、妻をあまり追い詰めてもいけないと思い黙認していました。そのうちに妻は集会に行くのを止めてしまいましたので、私一人で行っていました。自分一人でも集会に行っていれば何とかなる、そんな思いでした。会衆では妻がうつ病である事が知られていましたから、長老を始め、妻が仲良くしていた姉妹達も心配して、いろいろ気遣ってくれました。しかし、暫くたっても妻が集会に来ないので、妻が仲良くしていた姉妹が「F姉妹が以前ちょっと気になる事を言っていた、集会に来ないのは病気のせいだけじゃないらしい」と他の人に話し、長老にも伝わったのか、集会が終わってから長老が近づいてきて「姉妹はどうですか?何か変わった本とか読んでいませんか?」と聞いてくることもありました。でも集会に私一人になっても来ていることを褒め、励ましてくれたので、個人的に気遣われていると感じました。 その頃家では妻から「良心の危機」の本を読むよう勧められました。妻が背教文書を読むことは黙認していましたが、自分が組織外の情報に接することには抵抗がありました。しかし、自分も妻と同じ土俵に乗らないと判断出来ないと思い、抵抗感を抱きながらも読むことにしました。妻は「これを読んでもエホバの証人を続けたければ、続ければいいよ。」と言いましたので、自分一人でも続けるつもりで読み始めました。読んでみた感想としては、統治体での物事の扱い方にがっかりさせられました。末端のエホバの証人の人生や、時には命にさえ影響を及ぼすような重大な教理が、聖書の研究によってなされたものではなく、ただ組織の方針が優先されているだけでした。しかし、その実態に失望しながらも、そもそもこの「組織」を真理の唯一の道などと思っていた訳ではない私は、組織ではなく神を信じているのだから、たとえ組織に間違いがあったとしても、多くの宗教団体の中の一つとして、エホバの証人を辞める必要性はあまり感じませんでした。でも演壇から他の人に教えたり、野外で宣べ伝えたりするのは止めてほしいと妻から言われ、奉仕の僕を降り、野外奉仕に出る時間も減らして行きました。その間も妻は東京のJWTCや相模原のB教会、A教会へ足を運び、キリスト教に関係する書物を熱心に読んでいました。エホバの証人の集会にはほとんど出席をしていない状態でしたが、妻の表情は日一日と良くなって行きました。特に、イエス・キリストの愛、恵みについてよく話すようになりました。私はといいますと、集会はライフラインと教えられていましたからなるべく休まないように一人で頑張って出席していましたが、扱われるプログラムには正直関心が薄れて来ていました。 ある日、妻が名古屋のA教会に一緒に行こうと誘ってきたのがきっかけでキリスト教の牧師さんの説教を初めて聴きました。話される内容は主にイエス・キリストの恵みに関心が向けられていました。エホバではなくイエス・キリストに関心が示されていました。毎週出席していた訳ではありませんでしたが、何度目かの礼拝の中で旧約聖書の神が“エホバ”新約聖書の神が“イエス・キリスト”で、どちらも同じ“神”であることを知り、私が信じていた“エホバ神”は組織が作り出した神だった、というより、統治体そのものだったのだと思いました。 このときを境目にエホバの組織から距離を置くようになり、神の恵みに感謝したくなり、エホバの証人の王国会館からA教会へ行くほうが多くなっていきました。 聖書の中に「真理は人を自由にする。」という聖句があります。今まで「エホバ」のみが唯一の神であり、イエス・キリストは神ではなく神のひとり子だと学んで来ましたが、イエス・キリストが三位一体の神であることを知ることにより“本物の真理”を実感でき、如何に組織によって縛られていたかが分かりました。そして、エホバの証人の組織から妻と共に脱会しA教会へ行くようになりました。 正直、エホバの証人を辞めてしまったら神を礼拝するために行くところが無くなると思っていましたが、神様は既に私たちの行く先を用意してくれていました。私たち夫婦は、2011年4月24日に緑バプテスト・キリスト教会でバプテスマを受けることができました。全てを導いてくださっていた神様に感謝しています。エホバの証人がイエス・キリストを神と信じることは、大変難しいことと思いますが、イエス・キリストは旧約聖書の神と同じ神なのです。そのイエス様は「疲れたもの、重荷を負うものは、誰でも私のもとにきなさい。休ませてあげよう。」と言ってくださっています。偽りを語る組織から余分な重荷を負わされ、疲れ果てているエホバの証人の方々がイエス様のもとへ導かれますよう祈っています。