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(2014年12月20日放送)
特別オンエア中!
体験談『私が本当に捕われていたのは、エホバの証人ではなく…』

投稿者 : jwtc 投稿日時: 2010-01-21 10:07:06 (955 ヒット)

今日は、4月中旬の暖かさ。レギュラーのメンバーに加え、統一協会を脱会された方や、名古屋から出席してくださった方などにより、とても活発な、楽しいクラスとなりました。
礼拝では、ヨハネ9:35-41より、イエスによって癒された盲人が、単に肉体の目だけでなく、霊的な目も開かれ、イエスの本質が見えるようになったことが解き明かされました。この人は、最初イエスについて、「イエスという方」(9:11)と呼んでいますが、次に「預言者」(9:17)、さらに「神から出ておられる」(9:33)という認識を経て、ついに「主」(9:38)と告白し、礼拝をささげるようになったのでした。これに比べ、肉体の目が見えたパリサイ人は、霊的には盲目状態にあり、イエスの実態を最後まで見抜くことができなかったのです。とても考えさせられるメッセージでした。
続く午前のクラスでは、祈りは誰にどのようにささげるのがよいのか、プロスキュネオーの訳語は「礼拝する」(新改訳)、「ひざまずく」(新共同訳)、「敬意を表する」(新世界訳)の中でどれが正しいのか、というような問題が取り上げられました。
午後のクラスでは、今年2010年がエジンバラ宣教会義から100年目に当たることを踏まえ、この100年間にエキュメニズム(教会一致運動)がどのように進められてきたのかという歴史を学びました。そして、これからの50年、この課題に取り組む基本姿勢は、神学の一致を模索することにあるのではなく、啓示の受け手の多様性を受けとめるという、多元主義的なパラダイムを身につけることにあると示唆してくださいました。そして最後に、『ものみの塔の源流を訪ねて』の書物から、ラッセルの神学が結局アドベンチストのグループの中でまとめられたものに過ぎないことが明らかにされました。


投稿者 : jwtc 投稿日時: 2010-01-14 07:13:01 (1269 ヒット)

今日から三学期、2010年に入って最初のクラスでした。静岡を初め、今日も各地からたくさんの受講生が参加してくださり、すばらしい学びの時をもちました。
午前の礼拝では、ヨハネ9章13節から34節までを通し、パリサイ人がイエスによって癒された盲人や彼の両親に対し、厳しい尋問を繰り返した記録を学びました。彼らは、安息日にという小さな律法にこだわるあまり、イエスの本当の姿を見ることができず、自分たちの価値観や信仰の世界から抜け出ることができないという失敗をしました。私たちもまた、何としばしば同じ間違いを犯すことでしょう。
今日も私たちに信仰をもつことの素晴らしさをお話くださいました。いつも礼拝メッセージでは多くの励ましを受けますが、信仰の確信を強めることができたことは感謝でした。
続くクラスでは、王国宣教の二月号についての解説、『2010年度のエホバの証人の年鑑』から読み取れることや、1914年の臨在の年がものみの塔の歴史(特にラザフォードの書物)の中でいかに変わっていったかを学びました。さらに『ものみの塔の源流』の書物から、ものみの塔の組織が教えるようにラッセルは神から直接教えられたのではなく、バーバー、ミラー、ブラウンなど彼以前の多くの聖書研究者の影響を受けて、次第に彼独自の教理を組み立てていったことを確認しました。
今日は大変寒い一日でしたが、心温まるクラスの学びや受講生同士の交わりを通し、豊かな励ましをいただくときとなりました。
中澤先生は、クラス終了後直ちにシンガポールにご出発されました。私たちのクラスのためのみならず、すべてのお働きに、労苦を惜しまずにご奉仕くださることに心から感謝しています。今学期も中澤先生のご健康が守られますように。


投稿者 : jwtc 投稿日時: 2009-12-11 08:33:45 (1516 ヒット)

今日は二学期最後のクラス。クリスマス会をかねて、ご一緒にお食事をするということもあってか、普段来られない方々も都合をつけてかけつけてくださり、とても盛大な集いになりました。感謝!
礼拝では、イザヤ書全体の構造という問題が取り上げられ、預言者イザヤがイエスの降誕と生涯をどのように預言していたのか、さらにその預言が書物(イザヤ書)の中にどのように配置されているのかを学びました。中澤牧師は、このような預言と配置は神の霊感という働きがあって始めて理解できるのではないだろうか、と出席者一同に問いかけられました。とても深く考えさせられたひとときでしたが、このホーム頁をご覧になっている皆様も、音声によるメッセージをお聞きくださり、ご一緒に考えていただければと思います。
礼拝後のクラスは一時間延長して2時間とし(11時から13時まで)、その後クリスマスの会食(13時から14時)、さらに最後の一時間(14時から15時まで)はテープ受講生からのお便りの紹介や出席者の証詞があり、一同大きな励ましを受けました。
クラスでは特に、12月と1月の「王国宣教」が取り上げられ、最近のものみの塔組織の活動状況について話し合いました。組織内部のたがは確実に緩んでおり、リーダーたちは緊急感をあおって組織引き締めに躍起になっている状況がよく分かりました。さらに、ラッセルの生涯について学んでいたとき、ディスペンセーショナルな聖書解釈がどのようなものか教えていただきました。それは、聖書を字義通りに解釈し、神の人間に対する取り扱い方法が時代(普通は7つの時代に分けられる)によって異なる、というものでした。しかも、日本の福音派と言われる教会のほとんどは、多かれ少なかれこのディスペンセーショナルな聖書解釈の影響下にあることをも知りました。聖書に忠実であるとは、実際のところどういうことなのか、改めて突きつけられた思いで家路につきました。


投稿者 : jwtc 投稿日時: 2009-12-03 11:14:32 (1154 ヒット)

 12月に入り、アドベントを迎えたこの週、JWTCのクラスはいつもの通り礼拝から始まり、すばらしい学びの時をもちました。
礼拝ではヨハネ9:1-12より、イエスの弟子たちは、盲目の人が過去にどのような罪を犯したので盲目になったのか、という原因を究明しようとしたのに対し、イエスは、その盲人の未来に対するすばらしい神のご計画から問題をとらえられたことを学びました。
ともすると、現状の不幸に対する犯人探しに夢中になってしまう自分たちの生き方に対し、鋭い警告を与えられました。
続く午前のクラスでは、聖書の新しい翻訳を進めるにあたり、神の名前「ヤーウエ」をそのまま入れることが正しいのではないか、というクリスチャン新聞の投稿記事について皆で考え合いました。一つの問題を処理するに当たり、いろいろな角度から考えていかねばならないことを改めて学ぶことができました。
午後のクラスでは、ラッセルがアドベンチストのネルソン・バーバー牧師から「キリストの臨在」ということを学び、その考えを中心に今日のものみの塔の信仰をどのように築き上げていったのかという点について考えました。
ものみの塔の組織の中にいたときは、神がラッセル兄弟とその仲間たちを特別に選び、油を注いで任命されたと学んできましたが、実際には、アドベンチストの牧師たちから大きな影響を受け、その中でつくられた一つのグループに過ぎなかったことがよく分かりました。ちょっと、がっかりしましたが。なお、この学びの中で、千年王国については、これまでのクリスチャンの間にはいろいろな考え方があった知ることができたのは大きな収穫でした。


投稿者 : jwtc 投稿日時: 2009-11-25 21:27:34 (1378 ヒット)

 11月最後のクラスとなった今日は、暖かい一日となり、いつものようにとても楽しい学びができました。
礼拝では、中澤牧師がヨハネ8:48-59からメッセージを取り次いでくださいました。ユダヤ人たちはイエスに、「自分自身をだれだと言うのですか」と詰め寄ったのですが(54節)、それに対しイエスは、「アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです」とお答えになりました(58節)。ここの「わたしはいるのです」というギリシャ語の表現は「エゴ・エイミ」です。それは、ヘブル語では神のお名前である「聖なる四文字(ヤハウエと発音した)」を意味しています。つまりイエスは、ご自身を神だと自己宣言したわけです。それゆえユダヤ人たちは、その答えを聞いてイエスを石打ちの刑にしようとしたのです。とても興味深い説教でした。
午前のクラスでは、クラス出席者が最近参加されたいろいろな集いの紹介をしてくださいました。自分の教会を大切にしながら、広い交わりに参加することが大切だと感じました。また、「第15回全国ものみの塔被害者集会」の報告がありました。
午後からは、このような被害者集会という性格をもつ集いの基本的なあり方について、皆で話し合ういました。また、最近の小澤さん
(民主党幹事長)の「キリスト教は排他的な宗教である」という発言について、どのように受けとめ、レスポンスすべきかも考えあいました。そして最後に、『ものみの塔の源流を訪ねて』という書物から、ラッセルが神から直接啓示を受けてものみの塔の教理ができあがった、と組織は教えているのですが、実はアドベンチストの(特に4人の)牧師たちから一つ一つを学んだ結果つくられたものであることを確認しました。


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